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パワースポット巡り!御朱印!全国屈指の神社仏閣が多いまち「岡崎」でおまいり旅

前は「初詣に行く」という程度の感覚でしたが、パワースポット巡りや御朱印、寺社ガールという言葉も一般的になり、日常的に寺社仏閣を訪れる女子が増えています。

 

神社やお寺は、古くから多くの人が足を運び、祈りを捧げてきた不思議な魅力のある場所で、毎年決まった時期にお祭りや奉納が開催されていて、訪れる時期によって見える風景が変わります。

神社やお寺の周りには木々が生い茂り、境内に足を踏み入れるとその独特な心落ち着く雰囲気を感じることができ、バタバタした日常を忘れリフレッシュすることもできます。

 

休息がてら美味しいスイーツをいただいたり、思い出に残るお土産を探したり、歩きながらまちの歴史を知るキッカケにもなります。

今回、訪れるのは、徳川家康公の生誕地としても知られ、多くの神社やお寺がある「愛知県岡崎市」です。

 

お参りの前にはお清めをして、しっかりと神さまや仏さまにお祈りをしましょうね。

 

「おかまいり」ってなに?

愛知県岡崎市は、全国屈指の神社仏閣が多いまちです。旧・岡崎城下を歩いて回るとそれを実感することができます。「おかまいり」とは、江戸時代後期にさかんになった城下の神社を巡る「岡崎十二社」と、寺院の地蔵尊を巡る「岡崎三十六地蔵」のふたつの霊場巡りです。200年前の人々と同じ道を、同じように歩いて巡ることで、岡崎の歴史の豊かさや、歩きながら見つけるあなただけの特別な場所との出会いを楽しんでみてください。

 

【岡崎十二社】

江戸時代後期の記録にしばしば登場する岡崎城下全長約10kmの神社巡りです。歴史のある神社には神話時代からの伝承や、平安時代のもののけ退治、岡崎に生まれた徳川家康公にまつわる逸話が多く伝えられています。古代から現代に続く信仰の場である「岡崎十二社」をつなぐ道を歩き、神々の伝承に耳を傾けてみましょう。

 

1.六所神社/2.恵美須神社/3.徳王稲荷社金刀比羅社/4.築山稲荷大明神/5.岡崎天満宮/6.甲山八幡宮/7.清明社/8.伊賀八幡宮/9.能見神明宮/10.新田白山神社/11.龍城神社/12.菅生神社

 

【岡崎三十六地蔵】

江戸時代後期、1834年(天保5年)の記録で成立が確認されている岡崎城下全長27kmの地蔵巡りです。地蔵菩薩は祈願を起こせばどこにでも現れて、すべてに人々に救いの手をさしのべ、あらゆる苦難から救済してくれると信じられ、庶民からの信仰を大いに集めました。「岡崎三十六地蔵」を巡り、200年続く人々の祈りの道をたどりましょう。

 

1.大泉寺/2.極楽寺/3.地蔵寺/4.根石寺(根石観音)/5.春谷寺/6.随念寺/7.誓願寺/8.甲山寺/9.記念寺/10.薬師寺/11.源空寺/12.安養院金田寺/13.地蔵院/14.浄誓院(松本観音)/15.松應寺/16.善入院/17.貞寿寺(能見不動尊)/18.永泉禅寺/19.蓮馨寺/20.観音堂(観音教会)/21.井田観音堂/22.極楽寺九品院(荒井山)/23.大樹寺/24.西光寺/25.誓願寺/26.光明寺/27.龍城地蔵堂/28.金剛寺(荒山観音)/29.龍海院/30.安心院/31.咳地蔵/32.成就院/33.高岩地蔵/34.満性寺/35.六地蔵堂/36.西岸寺

 

 

詳細は下記より確認してください。

岡崎城下ふたつの霊場めぐり「おかまいり」

◆九品院(荒井山)◆ (第二十二番札所)

化粧されたお地蔵さまと手入れが行き届いたお庭が美しい

 

「荒井山」の通称で親しまれ、一生不臥、木喰荒行で知られる高僧・徳本行者の高弟・徳住上人が、文政3年(1820)に三河で仏の教えを伝えていた時、大樹寺42世隆也からこの地に常念仏道場の建立を請われたことが始まりです。

徳住上人は、岩窟で一千日の間、単信口称一〇万遍、日礼三千の苦行を行って、工事の無事と念仏弘通を祈願し、修行を終えた後の文政11年(1828)に多数の信者の労役によって開山しました。

天保10年(1839)に本堂が建立され、嘉永7年(1854)、第4世求道上人により善光寺堂が増築されて寺観が整って以来、修行道場として多くの僧侶を養育し、常念仏の寺として遺訓が継承されています。

 

境内には多くの地蔵尊がまつられていますが、岡崎三十六地蔵のお地蔵さまは、善行寺前の地蔵堂のたいへん大きく美しく化粧されたお地蔵さまです。

地蔵堂の前にある善行寺の地下にある暗い回廊を手探りで進む「善行寺戒壇めぐり」はいつでも体験できます。許可が必要なので、ご希望の方は寺院事務所へお声がけくださいね。

 

竹林も凛とした美しさで歩く人を魅了してくれます。

 

◆清浄山 極楽寺 九品院(荒井山)◆

住所/岡崎市鴨田町山畔9

電話番号/0564-21-0951

◆大樹寺◆ (第二十三番札所)

本堂から山門、総門を通して岡崎城を遠望できるビスタライン

 

松平家、徳川将軍家の菩提寺として知られ、松平4代・親忠(家康公より5代前の先祖)によって創建されました。親忠は応仁元年(1467)、井田野の合戦で勝利し、敵味方の区別なく戦死者を葬った塚を「千人塚」と呼びましたが、その後、悪病など災いが多く起こったため、仏堂を建てて勢誉愚底上人7日間の別時念仏を行い供養しています。この念仏堂は後の西光寺で、その後、親忠は菩提寺として大樹寺を建立し、愚底上人を開山としました。

家康公は19歳で桶狭間の合戦に出陣しましたが、大将である今川義元の討死で敗軍の将となり、逃げ帰った大樹寺で自刃しようとしました。しかし住職の登誉上人によって生きる意味を諭され「厭離穢土 欣求浄土」の言葉を授かって座右の銘とした後、幾多の試練を乗り越えて天下統一の大偉業を成し遂げたことから立志開運の寺とされます。

大樹寺で一番古い建物は、天文4年(1535)に建立された一層が方形、二層が円形の室町末期の様式の多宝塔で、松平清康公によって建立されました。国指定の重要文化財に指定されており、法華経信仰によるもので多宝如来が安置されています。

 

山門は寛永18年(1641)に三代将軍家光公によって建立されました。楼上には後奈良天皇の勅額「大樹寺」(重要文化財)が掲げられ、釈迦三尊像と16羅漢が安置されています。本堂からは山門、総門を通して岡崎城を遠望することができ、この3kmの直線は「ビスタライン」と呼ばれ、大樹寺の見どころのひとつで、この景観の保護は市の条例で定められています。

 

◆成道山 松安院 大樹寺◆

住所/岡崎市鴨田町広元5-1

電話番号/0564-21-3917

◆松應寺◆ (第十五番札所)

「松應寺横丁」と名付けられたお寺内の参道には様々なお店が並ぶ

 

※松平広忠公御廟所は、現在修復工事中

天文18年(1549)、家康公の父で岡崎城主・松平広忠は城中で家臣に殺され、能見ヶ原の月光庵(現・松應寺)に埋葬されました。当時、人質として尾張にいた竹千代(家康公)は月光庵に参り、松の木を一株植えて松平一族の繁栄を祈願します。

永禄3年(1560)の桶狭間の戦い後、岡崎城主となった家康公は、父の菩提を弔うために月光庵の地に寺院を建立しました。家康公は、父の墓上の手植えの松が念願通り緑深く成長するのを見て「我が祈念に応ずる松なり」として「松應寺」と名付けました。伝・行基作の地蔵尊は慶長4年(1599)に家康公から寄贈されたものです。

慶長7年(1602)、家康公から朱印地百石を賜り、慶長10年(1605)の広忠公五十七回忌には、松廟・拝殿・鳥居・玉垣をはじめ、坊中の浄誓院・善入院・西光院・宗慶院・貞照院・林塔庵・存了庵・伝宗庵八ケ院に至る再建工事が行われました。松應寺には家康公はじめ、秀忠、家光など歴代将軍が参詣しています。

昭和20年(1945)の岡崎空襲で本堂や鐘堂など諸堂のほとんどを焼失しましたが、太子堂と広忠公の廟所は戦災を免れました。家康公が手植えの墓上の松は、残念ながら平成3年(1991)に枯死してしまい、現在は新松が植えられています。松應寺境内にあった八ケ院のうち、現在も残るのは浄誓院(松本観音)と善入院(油掛地蔵尊)の二寺(いずれも岡崎三十六地蔵札所寺院)のみです。

 

現在、直書きの御朱印は一旦預けて、後日郵送等で受け取る形で新型コロナウイルス感染症対策を行っています。

 

店舗だけでなく、住居として使用されている方もいるので、節度ある行動を取りましょう。

 

岡崎空襲で焼け出された人たちが、焼け野原となった境内に闇市を出し、その後、家屋や店を建てて「お寺の中にまち」が出来ました。木造アーケードは、昭和28年頃に、当時の商店街が建てたものです。2011年から、寺と地元で町おこしを始め、「松應寺横丁」と名付けた参道では、新たに様々な店が並び出し、レトロな雰囲気も楽しめます。

 

◆能見山 瑞雲院 松應寺◆

住所/岡崎市松本町42

電話番号/0564-22-6863

◆貞寿寺(能見不動尊)◆ (第十七番札所)

毎月10日に開催される様々なお寺体験と歳弘法が見どころ

 

江戸初期の延宝8年(1680)、能見村在住の佐口五郎兵衛信定氏の篤信により建立されたと伝えられています。残念ながら創建から明治に至る間の寺歴は失伝しましたが、貞寿寺中興の祖(中興第一世)貞寿宝尼住職の在職時である明治16年(1883)から真言宗智山派に属し、大本山成田山新勝寺(千葉県)からご本尊不動明王の分身を勧請し、貞寿寺の本尊としてまつりました。

昭和20年(1945)の岡崎空襲の被害は免れましたが、昭和23年(1948)に近隣からのもらい火が原因で本堂を焼失。幸い、本尊不動明王は火難より護られ、5年後の昭和28年(1953)には信徒の支援で現本堂が再建されています。

 

弘法堂には、全国的にも珍しい寺宝「歳弘法」がまつられています。弘法大師の生誕から始まって、入定する62歳までの尊像が1歳ごとに一堂に並べられたもので、ご尊像はその年々の弘法大師のエピソードをかたちにしており、明治末頃に愛知県内の数ヶ寺でお奉りされるようになりました(現在確認出来るのは全国でも愛知県6ヶ寺、静岡県1ヶ寺)。

当時の愛知県は地域ごとに写し霊場が盛んに作られるなど、弘法大師信仰が盛んであったことから、その中で新しい参拝のかたちとして生み出された尊像群と考えられます。参拝者は自分と同じ歳の尊像におまいりすると良いそうです。お参りの前後に「重軽さま」と呼ばれる霊石を持ち上げ、お参りの後の方が軽く感じられたら、その願いは叶うと言われています。

 

毎月10日には、護摩壇でのお焚きあげの炎で厄祓いを行う「お護摩の会」が開催されています(13時から40分程度。申込不要)

また、素焼きの「焙烙(ほうろく)」にモグサを点火し、頭に乗せて「百会のツボ」をお加持する弘法大師直伝の邪気払い健康灸や、般若心経の写経と写仏(大日如来、不動明王、地蔵菩薩、観音菩薩)なども行われています。参加したい方は、「お護摩の会」の終了後に受け付けてください。

 

◆貞寿寺(能見不動尊)◆

住所/岡崎市能見町232

電話番号/0564-22-6725

◆菅生神社◆ (第十二番札所)

カラフルな御朱印や花手水、ハート型の石など見どころ満載の岡崎最古の神社

 

菅生の地を通過した際、高岩で矢を作り、神風で一矢を吹き流して伊勢大神(天照大神)を勧請したことが菅生神社の起源と伝えられます。菅生神社が岡崎市最古の神社とされるのは、この言い伝えがもとになっています。

永禄9年(1566)、徳川家康公25才の時、厄除け・開運の祈願のため社殿を再建し、以降歴代岡崎城主の崇敬を集めて城内鎮守の守護神として祈願所となりました。天正19年(1591)、城主・田中吉政が城郭拡張のため社領などを没収した後、昔は菅生橋と呼ばれた後に殿橋と名前が変わった岡崎城内殿橋(現在の殿橋より約100m下流に位置していた)東側の地に移転し、寛永15年(1638)には時の城主・本多忠利が本殿を修復。その際に寄進した「明神型石鳥居」は神社の北入口に現存し、岡崎市の文化財に指定されています。

「菅生神社」と改称したのは明治元年(1868)のことです。現在の本殿は、明治34年(1901)に建造されたものですが、1600年代の半ば頃に建てられた旧本殿も現本殿に向かって右手にある慰霊社として残っていて、岡崎城内に残る最も古い建物と言われています。

厄災の除去を祈願する例祭の菅生祭で行われる花火(8月第1土曜日)は、江戸期文化文政の時代(19世紀初頭)から今も続き、共催で開催される「岡崎城下家康公夏まつり」の花火大会は全国的に有名な岡崎の夏の風物詩となっています。

 

 

◆菅生神社◆

住所/岡崎市康生町630-1

電話番号/0564-23-2506

◆徳王稲荷社金刀比毘社◆  (第三番札所)

「こんぴらさんの藤」で知られ、藤と白狐、宝珠でデザインされた御朱印帳が◎

 

徳王稲荷社は、永正3年(1506)に今川氏親の発願で、稲熊(現・岡崎市稲熊町)の郷石山に稲荷大神が勧請されたのが始まりと伝えられています。明治26年(1893)1月3日に市内両町に移転し、徳王稲荷社に改称しています。昭和20年(1945)7月20日の岡崎空襲によって社殿は焼失しました。

金刀比羅社は、建保3年(1215)頃に本間三郎重光の臣・伴隼人が北野天神の祠官として奉仕したのが始まりと伝えられます。永禄3年(1560)頃、両町に住む伴孫太郎が徳川家康公に弓弦を献じたことから弦指屋敷呼ばれるようになり、家康公も弓の稽古に訪れ、お手植えの椿があったと伝えられています。文化9年(1813)10月に伴氏屋敷内に事比羅大神がまつられます。後に中町に移転しますが、岡崎空襲で社殿や藤棚が焼失しました。

昭和42年(1967)、岡崎空襲でともに焼失した徳王稲荷社・金刀比羅社が金刀比羅社境内に合祀され、新社殿が建立されて「徳王稲荷社金刀比羅社」となり、商売繁盛、金運上昇、交通安全、道ひらきの神社として信仰を集めています。

境内の片隅に根だけ焼け残って蔓を伸ばしていた径5cmほどの藤3株を移植し棚を設け大切に育てると、奇跡的に空襲で焼ける以前と同じ170cmを超す長藤が復活し、「東海道一の長藤」と讃えられるようになりました。

 

名高いこんぴら長藤 と稲荷神の使いである白狐、宝珠がデザインされたオリジナル御朱印帳もあります。

また、毎年4月下旬から5月上旬に行われる「こんぴらさんの藤まつり」では、夜間照明も施されます。

 

◆徳王稲荷社金刀比羅社◆

住所/岡崎市西中町2-1

電話番号/0564-21-7209

 

たくさん歩いたらスイーツでちょっとブレイク

神社がお寺が多い岡崎には、和菓子をはじめスイーツを扱うお店もたくさんあります。

たくさん歩いた分だけ、休息がてらに思わずほっこりしちゃうスイーツをいただいたり、思い出になるようなお土産を探すことができるのも「おかまいり」の大きな魅力のひとつです。

こちらでは是非とも立ち寄ってみてほしいお店を2店舗ピックアップしてご紹介します。

◆一隆堂 喫茶室◆

創業1955年、喫茶室を併設した老舗せんべい店

 

籠田公園のほど近くの抜群のロケーション、1955年から続く手焼きのおせんべい屋さん「一隆堂」と隣接し、ガラス貼りで外からもパッと目を引くひと際オシャレな印象の「一隆堂 喫茶室」。

専用に焙煎し、ハンドドリップで丁寧に抽出するスペシャルティコーヒーや小倉トーストなどのレギュラーメニューに加え、夏は「天然氷のかき氷」、冬場は「ぜんざい」など季節のおやつも充実しています。

2階の「一隆堂読書室」には、サブカル系のマンガから音楽・建築・アート本など、こだわり抜いてセレクトされた2500冊の本が置かれ、読書に勤しむこともできます。

また、喫茶室隣の一隆堂せんべい店では、美味しいおせんべいをお土産で買うことができます。

 

チョコテリーヌ/350円(税込)

クリームチーズとグラノーラのトースト/500円(税込)

本日の珈琲/500円(税込)

店舗名:一隆堂 喫茶室

住所:岡崎市連尺通3-18 一隆堂ビル1階

電話番号:0564-23-7098

営業時間:9:00~18:00(喫茶室ラストオーダー17:00)

定休日:水曜、毎月最終木曜、年始

公式サイト:https://www.yahaghisenbei.com/

◆岡崎公園 隠居曲輪 いちかわ◆

岡崎公園内にある八丁味噌と甘味が名物の立ち寄りスポット

 

徳川家康公生誕の地「岡崎城」まで徒歩2分。岡崎城本丸隠居曲輪にある1927年創業の八丁味噌料理と甘味のお店が「岡崎公園 隠居曲輪 いちかわ」です。
岡崎の八丁味噌名蔵「まるや」「カクキュー」の味噌のみを100%使用したこだわり八丁味噌料理はもちろん、地元のお茶処である西尾産の美味しい抹茶を使った手作りの甘味なども人気です。

竜宮堀や江戸時代初期の石垣などを眺めながら、徳川家康公や徳川四天王をモチーフにしたパフェを是非とも食べてみてください。

 

徳川家康公パフェ/910円(税込)

本多忠勝パフェ/910円(税込)

店舗名:岡崎公園 隠居曲輪 いちかわ

住所:岡崎市康生町515 岡崎公園内

電話番号:0564-22-2479

営業時間:11:00~夕方

定休日:水曜定休

公式サイト:https://okazaki-ichikawa.jp/

「おかまいり」をもっと楽しむために・・・

「岡崎十二社」と「岡崎三十六地蔵」の2種類のスタンプラリーが用意されています。各ルートの地図付きスタンプシートは、籠田公園観光案内所・名鉄東岡崎駅観光案内所・JR岡崎駅観光案内所にて無料配布中です。

 

 

「岡崎十二社」は赤色、「岡崎三十六地蔵」は紺色のスタンプボックスが目印です。

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webサイトには各寺院の歴史、御朱印の有無、地図や霊場めぐりの途中にある食事処・カフェ・おみやげ情報が満載

岡崎城下ふたつの霊場めぐり「おかまいり」

 

 

人の多い場所ではマスクを着用し、除菌スプレーやウェットティッシュ等を持参してコロナウイルス感染防止対策を心がけましょう。

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名古屋から約20分、自然と歴史的名所が盛りだくさんの宿場町の神社やお寺を訪れて、パワーをみなぎらせるのはいかがですか?

 

神社やお寺以外にも、もちろん徳川家康公生誕地でゆかりのあるスポットをめぐったり、当時と変わらぬ製法を守り続ける八丁味噌蔵を訪れたり、魅力たっぷりのまち、岡崎。

 

 

こちらにも、グルメやお土産情報など、充実した情報がたくさん載っているので、おでかけ前にチェックしてみてくださいね。

愛知県岡崎市公式観光サイト「岡崎おでかけナビ」

【問い合わせ】

(一社)岡崎市観光協会 TEL.0564-64-1637(9:00~17:00)※水曜日と年末年始は除く